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知りすぎると先が見えない

2018年1月1日「月曜日」更新の日記

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 株をやる人は、証券会社のセールスマンなら、毎日、相場を見ていて過去の高値も安値も知りつくしているから、株のことなら何でも知っているだろうと思いがちである。しかし、これくらい見当違いのことはない。証券会社のセールスマンはお客のために売買の取次ぎをやる商売で、どんな株を買ったらよいか、教えてくれる商売ではない。毎日、黒板のすぐそばにいて、株価の上げ下げばかり見ているということは、海辺に立って波の高低を眺めているようなものである。「今日は波が高いなあ」とか、「今日はバカに海が荒れているなあ」ということには気づいても、潮流はどちらに向かって流れているのか、またどんな魚がどんな湖流に乗って、どんな方向に移転しているかさっぱりわからないのである。  したがってセールスマン自身、自分で相場を張ることはどこの証券会社でも禁じているが、その禁を犯して株の売買をやって巨億の富をつくった話はついぞきいたことがない。セールスマンが家族名義で、ちょこちょこ相場を張る場合でも、波の低いときに買って高くなったときに売って利ザヤを稼げたらいいほうで、高波のときにもっと高波になると予想して逆にひかれることはいくらでもあるのである。  そういうセールスマンに「どの株を買ったらいいですか」ときくのは、目の不自由な人が目の不自由な人に道をぎくようなもので、目算通りにならなかったからと言って相手を怒るのは、怒るほうが間違っているのである。その点、証券会社のセール。スマンに比べれば、不助産業者のほうがまだいくらかましであろう。不動産は有史以来の高値へ高値へと動いてきている。戦後この方、あがるほうへは動いても、下がったことはIベんもなかったので、よほど間違った選択をしない限りは、判断を誤ることがまずないからである。  ならば不動産屋さんは皆、大金持ちになったかというと、大金持ちになった人たちも、むろん、いるが、大半の街の不動産屋は10年だっても20年たっても、昔と同じ不動産屋であることが多い。というのも、不動産屋は周辺の地価に精通しているだけに、土地の昔の値段にこだわひ、新しい変化になかなかついて行けないからである。  たとえば、私は昭和29年に香港から東京へ戻ってきたが、その頃、自分の住む家を買おうと思って、自由が丘のある不動産屋の扉を抑して中へ入ったことがあった。女の人が応対に出て、私の用件をきくとすぐ「ご予算は?」とききかえした。「え?」と私も思わずききかえした。  不動産屋は初対面の人にあうと、まず着ている物や腕時計や靴などを眺めまわして、この人はどのくらいお金を持っているだろうかと値踏みをする。「ご予算は?」ときくのは、お金も持っていない人に、買えもしないものをすすめても無駄に終わることを知っているので、相手の持っている金額にあわせた物件を見せたほうが話が早いと思っているからである。もちろん、・その頃の私は100万円出すのもやっとだったから、「ご予算は?」ときかれても、別に腹を立てる立場にはいなかったが、どちらかといえば、いい出物があれば、多少の無理はきく積もりだから、不動産屋のこの紋切り型の質問にあうと、いつも鼻白む思いをしてしまうのである。  そのときも、私は曖昧な返事をして、「このあたりの住宅地はいくらくらいしているのですか?」とききかえした。駅の前はまだ2階建てか、平屋の商店ばかり’で、レール沿いに自由が丘のマーケッ卜ができあがっていたが、商店街を5、60メートルも入ると、もう先はずっと住宅街だった。その住宅街のあたりが坪二万円ときかされ、「わあツ、高い。人殺し!」と思わず声を立てたことを覚えている。

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