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住まいがゆがめば家庭がゆがむ

2018年3月20日「火曜日」更新の日記

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 だれもがどこかに住んでいる。 つまり住まいとは「生活の器」なのである。  オギャーと生まれてきた生命を保護してくれるのは住居だし、そこで成人し、年老いて死ぬまで暮らすわけだ。 学校へ行ったり、会社へ行ったりもするが、人生の半分以上の時間は住まいの中にいる。 特に老人や幼い子どもにとっては、住まいは生活の場のすべてであるといってよいほどである。  だから、その生活の器である住まいがゆがんでいると、そこで生活する人間の心やからだの状態、家族関係までがおかしくなってくる。  家が狭いということでも、その狭さが私たちにどういう影響を与えているのか、ということはなかなかわからない。夫婦げんか、親子げんか、嫁と姑の確執、子どもの非行などで悩んでいる人たちも、相手が悪い、学校が悪い、しつけが悪いからだと考えることはあっても、家が狭いからだとはあまり考えない。 しかし、家が狭くなければ起こらなかった問題が非常に多いのである。  たとえば、非行少年の家へ行ってみると、ぬかるんだ路地を通り、洗濯物をかき分けて進んだ先に、2DKに5人で住んでいるということがある。 こういう家では子どものいる場所がなく落ち着けない。 いきおい夜遅くまで外をうろうろすることになり、非行にはしるということも起こる。 そんな場合も、まわりの大人たちは家が狭いからだとは思いつかない。  階段からころげ落ちて頭を打ったり骨折したりするという事故も最近は非常にふえている。 これなども″本人の不注意″で片づけられがちだが、そうではなく家の構造が悪いのである。 階段に手すりがない、勾配がきつい、さらに途中で折れ曲がっている。 3000万円も4000万円もする住宅でもこういう状態である。 日本の住宅建築会社が安全性をあまり考えず、経済性を優先した結果であるといわれても、いたし方あるまい。  このような私たちの身辺に起こるトラブル、ケガ、そして病気も、住まいのあり方と関係が深いのである。

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