日本人の住居観に欠けているもの
2018年3月21日「水曜日」更新の日記
-
- 日本人の住まいについての考え方にも種々の問題の一因はありそうだ。
私たちには昔から住まいを大切な「生活の器」だと考える習慣がなかった。
鴨長明の『方丈記』には起きて半畳、寝て一畳あればよいと書かれ。
また、『徒然草』ではこの 世は仮の宿りであるとされる。
ここ数十年のことを考えても、戦時中は「欲しがりません勝つまでは」だし、戦後は住宅などには目もくれず経済ばかりを迫いかけてきた。
しかし、もうそんなことはいっていられない時代になってきた。
高齢化社会を迎えている今日、老人には安心して暮らすことができる住まい、ストレスの多いサラリーマンには心とからだを十分に休めることができ、勉強のできる住まいが必要だ。
子どもや女性にしても同じこと。
健康で幸せな家庭生活を望むだれにとっても、住まいはその根本にある基盤である。
中国の孟子は「居は気を移し、養は体を移す。大なるかな居也」と言っている。
つまり、食物は肉体に影響を与えるが、住居は人間の精神に影響をおよぼす、なんと住居は大きな力をもっているのだろう、というのだ。
住まいの重要性を認識した言葉として忘れがたい。
私たち日本人も、これからはこういう考え方でいかねばなるまい。
街には食べ物屋が氾濫し、食生活がぜいたくになった。
しかし、「グルメ」ブームの一方で、日本人は住まいの大切さを忘れている。
Copyright © 2014 「SUMAIRINA」 All Rights Reserved.