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奈良での出来事

2019年3月4日「月曜日」更新の日記

2019-03-04の日記のIMAGE
今という時間は凄まじい速さで過ぎ去ってゆくが、過ぎ去った 後は意外にゆったりと堆積してゆくものであるらしい。時間というのは見えないし、手の 届かないところにあるようだ。 「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」 と詠われた奈良の都は、恐らくはかなり短い時間に一気に建てられた建築群であったと想 像されるが、美しいには美しかろうが、感動を覚える風景ではなかったのではないか。新 しいものには生なましさがあり過ぎるからだが、生なましさの正体はそれを造った人間の よく情念の生なましさだから、慾のかたまりに見えてしまう。 民家の保存や修景の仕事をしていると、例えばアルミサッシなど、後補された部分に違 和感があるし、腐っていてかなりの部分を新しくすることも多い。出来上がってみると何 かしらじらしい感じになっていてうろたえる思いをする。その家が新築された時の姿に戻 ると、消え去っていた情念が亡霊のように現れてくるのであろうか。千利休は商人の町として知られた堺の裕福な魚問屋の子である。生まれたのは1522 年、戦国時代の真っ只中の頃になる。各地に割拠した武将達は領地の争奪合戦に明け暮れ ていたが、堺の町は利休の生家である田中家を含めた納屋衆、三十六人会合衆が自治する 町として安泰でいられた。 恐らくは堺を狙う武将への金品の贈与による力で、武力の介入 を押し止めていたに違いない。同様の例は奈良の今井にある。ここは一向宗の門徒が称念 寺を囲んで造った寺内町で、環濠を町の周囲に巡らして防衛し自治する町であったが、 「大和の金は今井に七分」と言われる程、財力のある町人が集まっていた。 織田信長軍の 一翼であった明智光秀の軍と戦い降伏したが、何の答めもなかったという。金の力であっ た。堺の町も環濠を巡らしていた。このような町が他にもかなりあったと伝えられている。

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