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チュウコの再生

2019年3月7日「木曜日」更新の日記

2019-03-07の日記のIMAGE
思い返してみると、この方策は今にして始まったことではなく、大袈裟に言えば太古以 来のことであろう。高度経済成長期に「一世代一住宅」という掛け声があったのは、戦後 の家出型若者独立の気運を受けての一時的現象だったのであろう。家出して親との縁を切 ったつもりの若者が結婚して家を建てるのだから、.世代一住宅」は当然、核家族とい うことになる。かくして家づくりの主流は核家族を原則とすることに定まった。中古住宅 再生がもし主流になるとすれば、この原則は変わるのか変わらないのか。 日本人は伝統を重んずるが意外に新し物好きでもある。特に戦後のこの家出組にはこの 性格が顕著にみられた。親と縁を切ったつもりでいるのだから、「過去とは断絶して新し い物を創造する」と断言する。なんとも恰好いいではないか。 この改革的変化が戦後導入された民主化の賜物だったことは明らかだ。それまでの 「家」の束縛下にあった若者の人間解放宣言でもあった。これがそれ以後の日本人の家族 関係を取り仕切る原則になったのは、確かに封建制からの脱却という革命的な内容を結実 させた功績として大いに評価してよい何時の時代からのことかは不分明だが、京都の町は恐らくは室町時代の頃には、日本の 中では飛び抜けた大都市で、都心部はかなりの超過密地帯になっていたと想像される。神 社仏閣宮殿などを除けば、京都の町に現存する建物は、殆ど明治以後の建築と見て間違い ない。町を焼き尽くす程の大火が何度も町を焼け野が原にしてきたから、町の歴史は古く ても町に密集している建物は皆それほど古くからあります。何度も建て替わってきているんだよ。 日本で最古の家は神戸市の北の山を越えた盆地にある。茅葺きの農家だ。当初の形に復 元されている。大きな家だったが、調べてゑると建てられた当初は二棟で、それを一棟の 形につないであることが分かり、復元は当初の形に戻してある。母屋と客人をもてなす別 棟の構成と考えられているが、恐らくはこのあたりの大庄屋クラスの家と推定されている のに、家をひと回りしてみると、壁ばかりで、穴のような窓が幾つかあるばかり。

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