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新しい人間関係

2019年3月12日「火曜日」更新の日記

2019-03-12の日記のIMAGE
迎え入れる人間たちもまた不安なのである。やれ、怪しげな宗教団体の信者じゃないか、それとも過激派か。地元の人間たちは、未知の人間に自分たちの平穏な生活が崩されないかと怯える。そんな地元の人びとと接する際の理想的な姿勢は、いたずらに言葉で自分たちの立場を説明し理解を求めることではない。むしろ、言葉数は少なく、やるべきことを黙って行う無言実行のほうがはるかに説得力を持つ。白岩さんは、道で見かけたお年寄りたちを車に乗せたり、海水浴場のゴミ拾いをしたりもする。誰に言われずに始めたそうした行為は、いつしか島人たちの目に好印象となって焼きついていく。新しく都会からやって来た人物は、どうやら自分たちには無害な存在らしい。そう受けとめられたとき、新住民と地元の人びととの間にが生まれる。だからといって、積極的にあれもこれもと買って出る必要はない。しかしときには、意に反することだって起きるだろうし、やりたくないことだってあるだろう。だったら、それはそれできちんと説明したほうがいい。金余りの状態だった日本の銀行は、莫大な融資を不動産に対して行ったのである。それは、今から考えてみると、無軌道といえる融資であった。たとえば、ひとつ例を挙げてみよう。バブル以前はいくら土地本位制とはいっても土地の取引相場の七掛けや八掛けで融資をしていた。ところが、このバブル期には、その額を超える融資を平気で行っていた。私が実際に見た例では、ある大手のノンバンクのローン会社では、坪一○○○万円の単価の赤坂のマンションに、二○パーセント上乗せして坪一二○○万円の融資を行っていた。つまり、仮にそのマンションが二○坪あるとすると、取引価格は二億円であるのに、二億四○○○万円の融資をしていたのである。バブル期以前では、二億円の八掛け、つまり一億六○○○万円しか融資されなかったものが、バブル期には二億四○○○万円も貸し付けられていたのである。その背景には、急激に地価が高騰し、このようなオーバーローンを行っても、地価の上昇が含み資産の価値を押し上げてくれるという妄信があった。こうした非常にいい加減な融資が、バブル崩壊後の不良債権を膨らませる、大きな原因のひとつとなっていったのである。

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